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Author:yougakudou
創業1986年 洋学・蘭学・東西交渉史を中心に、学術古書、国内古書・古文書も取り扱っています。また当店出版物もございます。




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時は三月。今年も二年間働いてくれたアルバイトさんが一人就職です。誰にもましてまじめで気立ての良い綺麗なお嬢さんでした。みんなで門出を祝福しました。変わって新入でやってきてくれたのは、サッカー部の現役のお嬢さんです。すでに基本的な仕事をマスターしてくれました。頼もしいです。

コノヨウニ
「大切な事」ト
「そうでないこと」ヲ
硝子ノ
篩ニカケナガラ
時ハ銀河ノ奥へ奥へト
流レヲ
深メテユクノデス
「貧  富」       歯科医M                                     私は歯科医師として当然のことながら、理数的思考を得意とする。その私が歴史を述べるのはいささか的を射ないかもしれないが、古書店を営んでいる古い友人の受け売りと、日ごろ考えていることを合わせて少し述べてみたい。
 わが佐賀藩は幕末において、西洋の技術・思想を取り入れる事に全国でも群を抜いていた。オランダ船に何度も自ら足を運び科学技術を目の当たりにした鍋島直正。また直正の腹心で、それまでの蘭学中心の西洋学を洋学(=英語学中心の学問)に改変し、財政大改革のなかで教育だけは倍旧に充実させた古賀穀堂。日本で最初に(異説もあるが)種痘を施した中村涼庵。佐賀の片田舎から出てその精神面を重んじられ、明治天皇の側近となり、国際法を実践し書聖副島種臣蒼海。法制家江藤新平。政治家大隈重信。文部卿大木喬任。札幌市の都市設計をした男、島義勇。佐賀藩海軍提督から赤十字を興し、米欧回覧の長旅から多くの技術・思想を日本にもたらした佐野常民。岩倉使節の山口尚芳。独逸式医学を敷いた相良知安。幕末から聖書に長けていた村田若狭久保田邑主。岡倉天心をして「佐賀に谷口あり」と言わしめた谷口鉄鋼社主清八。あげればきりがないほど優秀な人材が幕末の佐賀を彩っていた。なぜだろうか。本当の理由は本職の日本史家にも定かでなかろうが、中学時代バス通学した私はその大きな原因のひとつがまさに「貧困」にあったと確信する。その頃、わら屋根もみえた国道を、毎日東へ西へひたすらバスで、高校は自転車で通学した。佐賀市中心部以外、風景は本当に「農村」そのものだった。農村の真ん中の佐賀だった。幕末の英雄たちもその少年時代は士農工商の差こそあれ、大差ない田舎少年だったことだろう。前述の古賀穀堂の財政改革は、実は堂島佐賀藩蔵を商人に差し押さえられるほど窮した財政の窮地の打開策だった。しかし、田舎であることとか、貧困であることからは素地さえ清ければ時として美しい花が咲く。努力や倹約、助け合いや心機一転の野望が、貧困という冬を過ごした者のみがもたらしえる「花」を結ぶのである。幕末の佐賀にはそのような美しい花が咲いたのではなかろうか。
 経済的に豊かであることがすべてのように考え、その足らぬことをあたかも人格の欠如のようにまで思う「拝金主義」からは、断じて花は咲かないと言いたい。だから私たち大人は、子供たちを、清き野望をふつふつと懐に抱く青年に育てるために、時として「大きな欠如」の中で彼らの自助力を養わせなければならない。与えてしまうのは罪でもあるのだ。
かつて牛津の佐賀中学生が、もったいないと、高橋から下駄を履き、帰りは高橋で下駄を脱いで裸足で帰ったという話がたまらなくいとおしい・・・
そんな気持ちを子供たちに伝えなければ成らないと思うこの頃である。

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